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お墓の話1

故松崎師が昭和十年一月五日に京都で講演されました大意は次の通りです。
(備考。本講演は老師の各地の講演と同じです。また各地で「お墓と家運」と言う題名で発行された本の内容と同じです。京都では老師に「お墓の話」の名で許可を得ました。)

松崎整道先生講話 佐野熊翁速記

 お墓の話 1


「家の根」

 私はある動機から多年全国に渡って、お墓と家の研究を致しました。それを統計的に、学問的に、組織的に、また信仰的に調査研究致しました。その結果墓は家の根でありまた相続のものであると言う結論に到達致しました。そこで子孫が長く続いて繁昌する事を理想とするならば、家の根となり本となり相統のものである墓を祀らねば、その理想を貫徹する事が出来ないのでございます。しからばその家の根となり本となり相続の墓とは、いかなるものであるかと言うことが次に起こる問題でございます。これは親の募を子が建てる事、すなわち言い換えれば親の墓を子が建て、子の墓を孫が建て、孫の墓は曾孫が建てると言う様に代々順々に親の墓を子が建てる、これが家の根であり本である相続の墓であるのであります。

「氏寺」

 我が国で一般国民、在家の方一同が石碑石塔に法号を彫り付けて墓を建てたのは、いつの頃から始まったのであるかと申しますと、これは極めて近世の事で徳川の世となって檀那寺、檀家と言う関係が起こって以来の事であります。寺は仏教渡来以来千三百年、沢山に建てられましたが、それは今日の檀那寺、檀家関係のものではなかつたのでございます。いにしえの墓は氏寺、もしくは祈祷(きとう)寺と言うものでありました。氏神と言う事は皆さんご承知の通り、今日は氏神のお祭だと言う事を言つておりますが、氏寺と言う事はご承知ない方が多い。奈良の大仏のある東大寺は皇室の氏寺で、隣りの興福寺は藤原氏の氏寺であったと言う様に氏寺が沢山んあった。また祈祷寺は比叡山の延暦寺とか、京都の東寺とか紀州の高野山とか言うのは祈祷寺に属するもので、国家鎮護の祈祷をする寺であります。しかるに徳川幕府となりまして外教、すなわちキリシタン、今の耶蘇教(キリスト教)を禁じましたために、そのキリシタン信者でないと言う事を証拠立てますには仏教の信者であると言わねばなりません。すなわち寺院の信者もしくは檀家と言う事でなけれぱ証明ができなかった。そこで従来の意味は違っておっても建てられた氏寺や祈祷寺に駆け込んで、その檀家とか信者とかにしてもらった。もし左様な寺院の無かった所では、住んでいる所の村民、町民が集まって檀那寺を造った。これが今日の檀那寺、檀家寺である。それ以来今日皆さんご承知の通りの戒名を付けた墓が建てられた。それ以前千年にもなるお墓は、これはある特種の人によって建てられたもので、今日では考占学の領分に属し、ただ学間的に時を知る一つの参考にはなるが、家運や家庭に何の関係もない墓でありますから省きまして、皆さんの家庭家運に直接関係のあるお墓の話を申し上げます。
 前に申し上げた通り、子孫が長く続いて繁昌する事は、誰方もの理想でなけれぱならぬと信じます。その理想を貫徹するのには、家の根となり本となる相続の墓を建てなけれぱならぬ。その墓と言うのはいかなるものかと言うと、親の墓を子が建て、子の墓を孫が建てると言う様に、代々順々に建てる墓を言うのであります。三百年来檀那寺・檀家と言う関係が起こって以来今日まで、各家庭に大なり小なり墓を持たないお方はない。しかしながら今私が申した様に、家の根となり本となる相続の墓を持った家がどれだけあろうか。絶対に無いとは申しませぬが極めて稀で、暁の星を見る様です。家の根を持たず、相続の墓を持っていないと、その家はどう言う風に現れて来るかと言うと、何かその所に欠けた所が起こって来るのです。しからば親の墓を子が建てさえすればいかなるものを建てて良いかと言うお考えが皆さんの胸に浮かんで来る。

「墓相」

 すべて宇宙森羅万象、形あるものには、相のないものはない。相と言うことは形と言う事で、家には家の形、家相あり、人には人の形、人相あるごとく、墓には慕の形がある。従って墓相と言う言葉が出て来るのである。形のあるものを造るならば悪い相を避け、善い相すなわち吉相とか福相とかの墓を建てるのが当然となって来る。親の墓を子が建てさえすれば良いと言うのではない。建てるについても良い墓を建てなければならぬ。そこで良い墓と悪い墓とを一通りお話致します。

「墓石」

 私が多年研究した所から申しますと、戒名を書く所の棹石は何を意味し、またいかなる形を現しているかと言うと、これは寿命の長短を現しております。それから子孫の有る無いと言う事を良く現している。次に台石は二段となってその上段の台石は家業、事業の安泰を得るかと言うことを現している。下段の台石はその家に伴う所の財産の維持が出来るか出来ないかと言う事を現している。およそ人の家として子孫の有無、家業事業の不安泰、安泰、財産の維持の出来る・出来ないなど、これらの一つを欠いてもその家は安全な家と言う事は出来ないと思う。相続が欠けてはいけない。事業家業が安泰しないでぐらついていてはいけない。財産も不如意ではいけない。家を維持出来る程度の財産はなければならぬ。墓としてはまずこれらの各部が形良く、順序良く建てられなけれぱならないのである。ところが三百年以来、少なくとも皆さんの先祖が戒名を付ける墓を建てる事を知って以来、至る所に墓はございますが、今私が申し上げたような完全な墓はどれだけあるかと見ますと誠に少ないのでございます。ここに話の順序上悪い方の墓のことをお話し致します。

「悪墓」

 明治になりましてから都会が特殊の発達を遂げ都会の人口が急に増加致しました。従って都会では広い墓地を取ることが容易でなくなり、また一方土葬を許さない所もできました。火葬になった結果死骸の始末が良くなり、広い墓地でなくてもカロートでも造れぱ十人、二十人は納まるからと言うのでカロートを造ることが流行して来ました。それから一人々々の墓を建てる事とは場所が許さないので先祖代々之墓とか、何々家累代之墓とか、何家之墓と言う様にするが良かろうと言うので、場所が得られなくて焼いて仕末が良いので、誰が発明したともなくこんな墓が都会ばかりでなく、出舎まで流行して参りました。この墓は良い墓か悪い墓かと言うと最悪の墓と申して差し支えない。それは子孫のない墓であります。今日は都会の風が段々に田舎にまで及んで行って、昔からあった墓は野暮な様に考えて、この頃では古い古碑を穴に埋めて先祖代々之墓にするのが良いと考えて至る所に、そう言う墓が出来ましたのは真に嘆かわしい事であります。
 この様な墓を子孫のない墓と申しましたが、今例を挙げて申して見ましょう。東京には青山墓地と申しまして、七万坪の地積を有っておる五大墓地の一つがあります。この墓地が出来てから昨年で五十年になりますが、その五十年間にここに墓地を持ちました人の数が一万八千何百と言う大勢になっております、それらの人々の家が昨年末どれだけ残っているかと言う事を取り調べますと、わずかに三分の一に足らない六千しか残っておりませぬ。残りの三分の二は無縁同様祀る人もなく訪れる人もないありさまであります。その中には高位高官の人の墓もあり富豪の人の墓もありますが、五十年の間に一万八千の家は六千になっております。また大阪で大きい墓地と申しますれば天王寺の墓地とか阿倍野の墓地でありまして阿倍野は殊に大規模で、大阪市が経営しております。この所を開いてから来年で三十年になります。この三十年間にこの所に墓を持ちました人の数が一万六千八百であります。その家が今日どれだけ御参りも出来、その墓地の掃除料を納めているかと言うと、本年八月の調査によりますと、東京の青山墓地よりも率が悪く、わずか四千五百しかございません。三十年の間に一万六千八百が四千五百になって、その他は無縁同様であります。これらの中には大阪市を背負って立つ様なお方も沢山有るのです。また一代に名を成した人の墓もあるが、それが訪れる人もないと言う状態です。
 これは墓についての事実をお話したのでありますが、さらに私が多年、家と墓との関係について調べた統計の結果から言えば、三十年はわずかです、先祖代々之墓、累代之墓と言う様な軽便的の墓で、三十年安定している家はまず少のうございます。今京都市に百軒まで入る網をパッと掛けてその百軒中、三十年以前から変わらずに住んでいる家があるかと調べて見ますると。町によっては今日一軒もないのがあります。さらに今度は少し大きな千軒までも入る大風呂敷を掛け調べて見ますると、千軒中には三十年前からの家が五軒か十軒あまりしか残っておりませぬ。これをもって見まするとわずか三十年でありますが、この三十年の間安定して住んでいる人がはなはだ少ないと言う事になります、これは表面的解釈で、何分都会は生存競争が激しいから長く続く家が少ないのだと世間では話しております。私の考えではなるほど生存競争の激しい事実も一つあるにはあるが、かく無縁になってしまうのは墓が悪いのだ。後のいらない墓を建てているからだと申し上げます。
 さらに世間には手回し良くて、自分の墓を自分の存命申に建てる人がある。もし自分の生きている間に白分の墓を建てた人があったらその家を調べてごらんなさい。必ず次のような事実があります。すなわちそれまでは世間から褒められる様な良い息子、賢い子供が病人になって床に就いてしまう。あるいは放蕩(ほうとう)をし出す。不良生となるのです。とにかく自分の生きている間に自分の墓を建てれぱその子は溝足なものとならず、その家は満足に行かぬと言う事を大きな声で申し上げて間違いはないと信じます。ただし夫婦の一方がなくなった時建てたのは、自分の生きている間に建てた墓にはならぬのです。
 白分の墓を白分で建ててすらもその子供はヤクザになるか病人になるのであるに、いわんや子孫幾代もあるべきものを先祖代々、何家之墓で片付けてしまうのは、子孫のいらない墓に該当するのです。これらの事は寺に行って墓と実際の家の状態とを対照してご覧になりますれば、少しも間違った話でない事をご了解が出来るのであります。
 それから俗名の墓は仏法の言葉で申せば成仏の出来ない人の墓と申しております。神道であろうとキリスト教であろうと何でありましても、俗名であったならばその家三代にして必ず血縁は絶えます。これは理屈でない実際論である。俗名の墓を数万、数十万と挙げて対照すれば良く分かるので、私は統計をもって申し上げるのである。また戒名法名であっても一本の石碑にたくさん親も子も兄弟も孫も書かれたのは、それはその仏を祀ったことに当たらない。申さば石の過去帳であります。そんな家は長く統いておりませぬ。長く続いておりましたらそれは多分養子相続か何かの接木の家と申すもので血統は続いておりませぬ。死んだ人があるとそれを書き込む彫り込むと言う式で、前の方を明けて置いたのがありますが、その石碑に法名が一杯にならない前にその家は潰れてしまいます。墓地が狭いから過去帳式にするのは余儀ないもののように考えられますがそれは考えが足らぬのだ。墓と首うものをただ骨を埋める倉の様に考えたり、ここを先祖の家と言う様に考えるから間違って来る。もっと広く考えれば墓は家の根ですから、段々広がって行かなければならぬのでありまして、狭い所に窮屈な思いで小さくなっている様な、家の永続出来ない墓を初めからお作りにならぬ様に願いたい。私は京都でも幾年来たくさんの墓を拝見し、また皆さんからご相談を受けましたが、識に申すもお気の毒な次第ですが墓所が狭いのです。もしこれを考えればいくらでも回転の道があるのです。この回転の道と申しましても、誤解せられてはいけない。墓の為に寺を替えるかと言うように取られてはいけませぬ。一体これはお寺さんも心配しなけれぱならない問題で、墓地の狭いのは何とか回転の道がありますから後にお話する事と致します。とにかく場所が狭いから先祖代々之墓、何家之墓、あるいは一本の石碑に親から係までペタペタ並べる事はその家の繁昌も、子孫の永続も出来ない事になります。


先祖の祭祀と家庭運」 松崎整道先生講話 お墓の話 より

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 墓相Wiki 最終更新時間:2011年08月03日 17時10分57秒