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お墓の話4

 お墓の話 4



「功徳」

 先年関東の桐生で、墓を見てあげました人で古いお墓を沢山持っておられましたが、はなはだよろしくない墓相で、家運の衰微を現しておられました。それを直すと同時に古いお墓を整理した方がよろしいが、この整理をするには何か功徳を積まなければならぬと申しますと「何をしたら良いか」との質問があった。考えておきますと申してその家を出ました。帰り道に広い道路があってその中程の二十何間が未完成のままにしてあった。妙な事だと思って、送ってくれた人に聞いて見ると、その未完成の部分の土地を持っている人が、その土地を手放さないのでこの道路の前後が出来たけれども、この一部分が残っていると言う話だ。道路買収を担当した人が、持ち主に話す時に感情を害したとかでどうしても承知をしてくれないので、かれこれ四年もこうなっていると言う事である。その持主は何と言う人かと聞いて見た。その人は先程大きな功徳をしろと言った人だな、と言うとそうだそうだと言う話。それから宿に帰ってその人に来て頂いて、先ほど家還発展のため墓を直すに付いて何か功徳をしろと、言ったが今あなたに適当な功徳となる事を教えてあげよう。それは道路の話である、色々これまでの事情もあろうが、仏の言われる事と思って曲けて承諾したらどうだ。それは今帰り通に道路が前後出来ていて、中間の一部が出来ていない所がある。聞けばその土地はあなたの所有地たそうだ。道路の委員だか市の係だかと衝突して談判不調のまま四年にもなると言うが、これを水に流して今までの行き掛りを捨てて市に寄付が出来れば結構、もし色々のご都合で無償でいけなければ、せめて市で定める値段でこれを手放してはどうか。私が言うと思わないで先祖・仏さん・如来さんが言うと思って聞いてもらいたい。これは大変功徳になる事だ。釈迦の説かれた話の中にも八福田と申して八つの功徳を挙げた中に、道の無い所に道路を造って世人に便益を与える事を一つの功律に挙げられている。あなたの家はずいぶん色々な因縁が重なっておって容易な功徳では駄目だ。白殺する子供が出来る様な不幸な因縁があるのであるから、良く考えて見よと申しますと「さようですか、帰って家内と良く相談して見ましょう」と言って帰って、すぐまたやって来ました。「早速帰って相談しました結果、喜んで市に寄付します」と言うのです。五間幅で二十何間ですから百何十坪になり、坪十円にしても千五百円の土地である。それを寄付しますと言うから、それは結構だと言ってその事を翌日市の方に申し出た。市の方では待ち兼ねておった所でありますから、早速道路にしました。この功徳によって墓も整理が出来ました。
 翌春、私が参りました時、その人が宿に来て「先生ここで申し上げてもよろしいのだが家内中そろって先生に御礼を申し上げ、かつまた喜んで頂きたい。どうかお忙しい所でしょうが宅に寄ってくれ」との事でその家へ行きますと、家内中そろって出て来て、「昨年お目にかかるまでは私の家は段々悪くなりました。私の商売は織物に使う糊を高等工業学校の先生から教えて頂き、それを製造しておりました。しかし資本もなかったので、何千円か借金してちょうど九年になりますが、辛うじて利子を払って行くだけで、元金を返す事が出来なかったのです。それがあの地所を寄付しまして墓を整理し、その土地の左右の白分の地面に借金して家を造り貸家にしました。良い借り手があって家賃もキチキチと入りますし、また商売の方も繁昌して満一年にもならないのに、その間の利益で借金を奇麗に済ませてその上隣の屋敷をも買い求める事ができました。あの寄付のお話がありました時、実はあの地面は担保になって金を借りておりました。その担保を解くにも金の工面をしなければ登記も抹消して寄付する事が出来ないのでずいぶん苦心しましたが、先生のお話に従ってそう致しましたら、わずか一年の間に大変良くなりました。なお商売の方は明年三月まで注文が一つもなくても、今まで受け取った注文で追われる位であると」言って非常に喜んでいました。事実その話の通りで、その家は引き続いて発展しております。誠に結構な事であります。

「整理」

 墓を整理すると申しますと、よく今日は先祖代々として一本にする人が少なくない。これが良くない事は前にも申し上げたが、これと反対に十本も二十本もそれ以上もある家があり、そして墓の事を良くご存じでなくて、死んだ順に建てておられる家もある。埋葬して石碑を建てるにも位置なわち座があって、その座を外してめちゃくちゃに建てた家は、家内が和合しない。親子兄弟夫婦仲が悪い。墓の座に付いて申し上げると、大体墓地の右奥が最上位になり、その部に先祖供養の五輪の塔なり宝篋印塔を建て、塔より向かって左側に、親、兄と言う順に墓を並べる。親が子の墓を建てるとか、兄が妹の墓を建てると言う場合は、逆位に左から右へ行くのである。
 ここで墓地の整理に付いてお話致します。死者に対し一つ一つの墓を建てて行きますと、限りある墓地は直ちに一杯になります。日本のような狭い国では墓のために土地が無くなってしまうと、言う人もあるかも知れません。がそれは理屈で、日本小なりと言えども今だ墓のために米や麦を作る嚇所が無くなったと言う実際の例が無い。しかし限りある墓地に無限に墓を建でれぱいつかは一杯になって行く。墓地が墓で一杯になると、ちょうど木で申さば育ち切った様なもので、段々生まれる人間よりも死ぬ子供が多いと言う事になり、たまたま育てぱ家を相続しないで他郷へ出て行ってしまう。家を相続する人が他郷へ出て帰らない人がずいぶん少くない。それは色々の事情で、せっかく都会へ来て学問をして立派な人になった。これから村に帰うても仕方がないから学んだ学問で適当の地に行って身を立て、その所に生活する事になる。しかしこれは現時の事情にすぎない。さような人の墓を調べて見ると、その先祖の墓が荒れてしまっているか、あるいは一杯になってもはや墓を建てる余地が無いと言うのが実際である。墓地に余裕のある限りはせっかく他郷に出ていてもうまく行かないとか、種々の事情で国へ帰って来る事になる。墓を整理して余地が出来たために戻った例も沢山ある。
 子供が外国にある年限を限って留学した。ところが約束の年限が過ぎても帰って来ない。親御はもちろん、親族友達から帰朝を促しても帰らない。私がたまたま縁あってその家の墓を整理してあげました。すなわち一杯になっている墓地の碑を片付けますと、これまで十年二十年の間帰らなかった子供がスゥット帰って来た。墓に余地が出来て来ると、帰れと言わなくてもその子供が帰る。次のはお寺さんまで帰って来た例である。

「例」

 一、二年前の事ですが、上州に花輪と言う所があります。その所の○○寺と言う天台宗のお寺で講演をし、各家の古い碑を整理して一つの所へ集めてお祀りを致しました。その寺の総代をしている人の母親が、六年前から半身不随かで床に就いておりましたが、古い先祖の墓を片付けて墓地に余地が出来たら、その三日目に六年床におったお婆さんが立つ様になった。更に三日目には二丁程の山の上にある自分の家の墓に杖をついてお参りした。まるでうそのような事実がありました。か様な縁で一、二度その地へ参っておりましたところ、その隣村で弾宗のお寺で○○寺と言うのがあって、そのお寺は十五年前に火災により全焼して住職が焼死しました。さっそく仮小屋の本堂を建て、前住職の弟子が住職になりました。その和尚も七年前に変死して、以来住職がいなかったので、これではいけないと言うので、村の人が心掛けて積立金をして五万円になり、お寺を新築しほとんどでき上がりました。入れ物が出来たから住職を迎えなけれぱならぬと言うので、寺の歴史を調べますと、その寺は住職が亡くなると、その住職の子か弟子かが相続する事になっている事が分かりました。七年前に変死した住職には子供もなく弟子もなかったが、その先代住職には子があって、僧侶になっている事が分かったが、どこにいるか居所が分からない。色々調べると現在北梅道の小樽市の雇いをしていると言う事が分かった。そこで総二名と隣村の住職と三人ではるぱろ小樽まで迎えに行った。そして現在寺もほとんど落成したから帰って下さいと三日間口説いたが、どうして帰るとは言わない。いつまでも滞在しているわけにも行かないから、良く考えて下さいと言って戻って来た。この迎えに行った人が今だ帰り着かない前に「私は断固帰らないから外から住職を招へいしてくれ」と言う手紙が来ておりました。こんな事情でまだその寺に住職なく、まことに困っておられる話を私が聞きました。私はその時とにかくその寺へ、一度行って見ましょう、何とか良い方法があるかも知れぬと申して、そのお寺へ行きました。まだ新しい木の香がプンプンする造作中の寺を見、また境内から墓地を一巡した後、これは何でもない。あなたがたは普請より先にする事があったのだ。それをやれぱ住職の方が先に出て来たんだ。とにかくこの寺の墓の整理を急ぎなさい。そうするとどこからか住職が生まれて出て来る。それを反対にやったからいけないのだと申しました。この話をしてニカ月後に養蚕が片付いてから墓の整理をした。もちろん寺の住職の一杯になっていた墓地もその際整理して余地が出来た。この整理を始めてから三日目に、断固帰らないと言った小樽の僧侶がヒョッコリ帰って来た。村の人は和尚さん良くお帰り下さいましたと言うと、私は帰って来たのではない。先般三人連れでわざわざ小樽までお越し下され、その後もねんごろな手紙を頂きましても返事もしなかった。誠に不都合をしていましたから、そのお詫びかたがたごあいさつに出なければならぬと思って参りましたと言う話である。墓の整理にかかった日と、あいさつに行かねばならぬと言う心が出来た日とピッタリ合ったのである。そして新築の寺を見たり、庫裡の間取りなどに意見を述べたりして行かれましたが、間もなく小樽から手紙で、先頃お断りしたのだが皆さんのご好意に甘え寺に帰る事にします。しかし明年の三月までは役所の都合もありますから、三月末に辞めて帰りますと言って来られた。市役所でどれだけの待遇を受けるか、村人が五万円もかけて寺をこしらえてくれ、その住職になれば御前様の扱いを受けるなどの事が動機となって帰る事になったので、現在その寺の住職をしておられます。随分不思議なものであります。


先祖の祭祀と家庭運」 松崎整道先生講話 お墓の話 より 

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 墓相Wiki 最終更新時間:2011年08月30日 16時19分16秒