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お墓の話2

 お墓の話 2


「吉墓」

 次に良い形についてお話し致します。一本の石碑には夫婦の戒名を書くぺきもので二つ三つ、あるいはそれ以も書いたのがありますが、これは石の過去帳に過ぎません。夫婦なれぱ、右に夫、左に妻の戒名を併記するのがよろしい。もし先妻が死亡して後妻をもらった時には次のごとくする。すなわち先妻の子が相続人として墓を建てる時は、父の戒名と先妻の戒名とを併記し後妻の墓は別に建てる。後妻の子が相続人として墓を建てる時は、右側に父の戒名、真中に先妻、左側に後妻(白分の実母)の戒名を書く。すなわちこの場合は一つの石碑に三つの戒名を書く事となる。碑の正面には戒名を書き向かって右横には死亡の年月日、父何某、母何某享年何歳などと記し、向かって左横には何年何月建立何某と記す。ただし墓を建てる人が成年に達していなけれぱ、その人の姓のみを記し名は書かぬ、夫が妻の碑を建てる時は観音像を浮き彫りにしたのを立てるのがよろしい。その位置は逆位である事もちろんである。その後夫が死亡した時はその子が親夫婦の墓を建てるのである。
 碑の大きさ寸法を申しますと、石碑は必ず先祖より大きいものを建てるのは良くない。いかなる家でも長い間にはくたびれる事や疲れる事がある。くたびれたなら休めばまた勢いが出て来る。家が衰えた時代に親が死にましても、楽に建てられる様な質素な墓がよろしいのです。大体の大きさを申しますと次の様になります。

  • 竿石 正面の幅は六七寸乃至八寸、最大限度が一尺までである。高さは前幅の二倍四分乃至二倍五分、奥行は前幅より一割少ない程度にします。
  • 台石 上段の台石の高さは竿石の前幅と同じで、前幅は一尺三寸乃至一尺五六寸、奥行は前幅より一割少ない。下段の台石の幅は一尺八九寸乃至二尺二三寸、高さは上段の台石の高さの五割増とし奥行もその程度でよろしい。

 これらの大きさは建てる人の任意でありますが、干万長者でも前幅一尺以上の墓を建てては大き過ぎます。この石碑に書きます戒名は、必ずまじめな楷書でなければなりません。草書や行書や隷書などを書いた墓の家は衰えますから、まじめな楷書で書く事が肝要です。

「墓形」

 墓の形は千差万別で一々こう言うのが良いと言って挙げる事は煩に堪えませぬから、二、三を申し上げます。自然石をもって墓を建てればその家は絶家する。台石は上段下段と二段になっているのが吉相の墓であります。三段、四段、五段と言うのがありますが、それはことごとくよろしくない。また竿石と中段の台石の間にお膳の様な猫足の墓は家運不安定の墓であります。不安定と言う事はどういう事であるかと言うと。、男の子がたくさんあっても相続すぺき長男に相続させられないで、二男、三男が相続する。あるいは男の子があっても、それに相続させる事が出来ない女の子に養子をもらう。あるいは沢山子があっても一人も相続さす者がなくて養子をもらって相続させると言う事になる。もし相続問題が起こらないとすれば家業が安定しませぬ。十年の間に三度も四度も家業を替える事がある。また相続と家業に問題がなければ財産が問題となる。沢山あった財産がいつの間にか赤字で借銭になっていると言う有様になる。猫足の墓をお持ちになって十年でそう言う事が現れたり、あるいは十五年、二十年で表れて来る事もありまして、あまり遠い幾代の後までは持ちませぬ。

「石材」

 石碑の石の色は黒いのを避ける事。黒い石は過去に悪い人間が出た家か、子孫に悪い人間を出します。青い石は病相ですから、その家に病人が絶えない事になります。なるぺく白い堅い石がよろしいです。小松石も理想です。

「墓地」

 それから、どう言う所に墓を建てたらよろしいかと申しまするに、墓は陰の極みでありますから、陽の日を受けなければその家は繁昌しません。陽の日と言うのは午前の日の当たる事で、方角から申しますれば東向きが良い。それから巽か南向きが良い。物陰ではよろしくない。湿地だの日陰だのに墓があるとその家は繁昌致しません。
 墓地に木を植える事は禁物であります。寺院墓地としての外郭に防火風致のために植えるのはよろしいが、各々墓地に木のあるのは感心しませぬ。どうも近来東京はもちろん、大阪でも墓を造ると石屋ばかりでは済まない。植木屋を連れて来て庭のつもりで墓を据えるがこれはいけない。隣の墓地との境界に小さい木を植えるのは不可とは申しませんが、成長して二尺以上の高さになります時は、掘り取って新たに小さい木に替えます。墓の仏を慰めるつもりで桜とか椿とかの花の咲く木を植えたり、また橙、柿などの果物のなる樹木を植える人もありますが、左様な家は必ず衰えて参ります。特に果物の木があると身体障害者が生まれます。

「例」

 先年名古屋の覚王山口泰寺で講演をした事がある。私の講演の前にある寺の住職が法話をしておられましたので、その話の済むまで待ってくれとの事でその住職のお話を聞いていました。
 その話の終わりにこんな事を言われました。「私の寺の檀家に自分の墓地ヘミカンの木を植えた人がある。数年の後その木が大きくなってもミカンがちっともならない。ならないものならいっそ切ってしまうと言いますと、近所の人が『まあ待ちなさい。ミカンがならないとて切ってしまっては、何にもならない。私とあなたでこんなお芝居をしてみたら実がなるかも知れない。あなたがオノを振り上げてミカンの木を切るまねをして、いつまで待っても実がならないなら今日限り木を切ってしまうと言うのです。そこで私がミカンの木の代理となって、来年からなりますから切らないで下さいと言うのです。きっと来年からなるか。きっとなります。もしならなければその時切り倒すぞと言うのです。』早速試しにこの芝居をしました所が、その翌年からミカンの本に実が沢山なりました。植物でも魂があるからむやみに切るものではない」と言う面白いお話でした。その住職の法話の済みました後に私の番となり講演を始めたのです。すなわちただいま面白い結構なお話がありました。しかしこれを聞かれた皆さんが誤解をせられてはいかぬ。墓地に木があるのはよろしくない。特に果実のなる木があると、身体障害者が生まれるものである。今のお話で皆さんが、墓にミカンの木を植えてもし実がならなかったなら芝居をすると良いと思うて、墓地のミカンの木を植えられる様な事があると、それは大変間違った事となって不幸な事が起こるから、その点を良く了解せられたいと申しました。すると前に話をせられた住職が真青な顔をして「先生果実の木が墓地にあると身体障害者が出来るとの事は真実ですか」と、私に向かって尋ねられました。私は墓相上の経験から決して間違いはないと答えますと、その住職はいかにも不思議だと言って「実はそのミカンの木に実がなり出しましてからその家に三人の子供が出来ましたが三人共皆身体障害者で唖や骨なし子が生まれました。実に恐ろしいものだ」と感心せられました。
 大阪の某禍富豪で父が亡くなったのでその埋葬した所へ桜の木を植えました。そして石碑は少し離れた所に建てられまして今日で約十五年にもなります。ところがその家の主人が七年前頃から精神病になって東京の某病院で療養しておられますが少しも良くなりません。ある動機からその家の墓を私が見る事になり、桜の木は良くないから切った方が良いと申しまして、その木を切りました ちょうどその切りましたその日に精神病になっていた主人が、何か急に世間が明るくなりた様に感じ、それから病気がすっかり良くなりました。偶然だと言うかも知れないが、木を切ったその日から良くなると言う事は何か木と病気との因縁があると思う。
 これは神戸の話であるが、谷某と言う人が外出すると頭がグラグラしてとても歩けないので、内にばかり引き込んでおった。私が墓地に木があると狂人になると言う話をしたのを聞かれて、私に見てくれとの事で見に行くと、その所の墓地に大きな樒(しきみ)の木が高く繁っておった。これは切らなければいけないと言い、遂に切り倒したところがその翌日から頭のグラグラが治ってしまった。
 それから石燈籠もむしろない方が良いと思います。墓地に草の生えない様にと墓地全部を石で畳んだり、コンクリートで塗りつぶしたのも見受けますが、これもいけません。墓地は山の清浄なる土を置きまして、草が生えたら草を抜き常に清潔に帰除を怠らぬのが、墓をお守りをする者の務めであります。墓地を石で畳んだり、コンクリートで塗って草の生えない様にすれば、その家に草が生える様になります。
 墓地を大変高くするとその家ほ栄えませぬ。もし周囲の関係で土を盛らなければならぬとすれば、一尺までを程度と致します。一尺以下はよろしいが、一尺以上になると人の造った地面になり、富の本たる大地との縁が遠くなりますから、繁昌しない事になります。


先祖の祭祀と家庭運」 松崎整道先生講話 お墓の話 より

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 墓相Wiki 最終更新時間:2011年08月12日 11時14分46秒