序
むしあつい夜であった、森江君が来て、『お墓と家運』のゲラ摺を出し、熱心にお墓の講釈をした。僕はよく理屈はわからないが、君の真剣さに感服した。君はこの書に、一言を付せんことを求めた。
丁度座間に楽翁公の燈前漫筆があったので、それから一二言をぬき出し、ゲラ摺の端にかきつけて渡した。
人の父母先祖におろそかに疎なるは、みづから木の根をゆるがして倒すに異ならず。その根かれなぱ、数々の枝葉も徒て枯るるは、皆人の知る所なり。然れば、父母先祖にあつくして、子孫の繁栄をいのるぺきことなり。
子孫たるもの、先祖に厚くば、先祖の神霊悦ばざるべきや。
我に親しき先祖の霊に見すてられて、家の幸あるべき理なし。
『お墓と家運』の内容は如何であるかと言えば、つまりはこれですと。乃ち懐にして去る。
昭和五年六月
鷲尾順敬
はしがき
吾人が現在の人格において、日夜見聞しつつある世界を
眼に見へぬ神の心に通ふこそ
ひとのこゝろの誠なりけれ
とのたまはせられしなり、上古はこの幽界の威力を恐怖し
―するのみならず、進んでこれを慰安し指導せんがため、法味に飢えたる鬼神に対し深遠んる教理を講説して…醍醐の法味に飽かしめ、これによりて各自その威力を倍増して、自在に国家民衆を
然るに近世物理化学の進歩は、唯物的偏見に陥りて必然の結果社会各層を通じて物質崇拝の悪弊を醸し、ひいて神を畏れず聖人の訓えを用いず、百般の事物、一に功利主義に出発せずんば現代を語るに足らずとなすに至る。ここに於いてか労資の反目は階級的闘争となり、至るところ争議、反抗相次いで起りほとんど底止するところを知らず、日東固有の精神文明は挙げて顧みられざるに至らんとす、
頃日友人某来り告げて言う、松崎整道居士なる人あり、神霊幽魂の威力を説き、
居士は言う、年来全国的に詳細にして緻密なる調査を遂げしに、その結果の千姿万態なる裏面に因果の理法整然一貫、実に微妙不可思議なるを見、かつ驚きかつ歓び、いよいよ探りていよいよ広く、終に百万基の墓石を調査せりと、講和終りて後、親しく寺の墓前に至り逐一墓を相してその所有者の家運、人事について過去および現在を語るに、墓主および管理人の
嗚呼これ実に幽界の鬼神が語る雄弁なる説明にあらずして何ぞや、いわんや居士はもとより仏教信者なるも、その説くところは経典に基く知識にあらず、ただこれ多年の調査によりて得たる実験談に外ならざるをや、真にこれ
居士は大震災以来家政を子息に任して顧みず、老体をかりて全力を無縁墓の供養に捧げ、常に言う我が無病健全なるは一にその余徳なりと、しかも居士居常淡々明利を避け、自己の言行の世に知られるを欲せず、従って今回の講和筆記も発表せるをいやがり堅く刊行を拒まれしも、余など同人間に分かつべんぎ上、単に数百部を印刷すとの主旨により、ようやくその快諾を得たるをもってこれが
昭和五年六月七日 各宗聯合大井佛教會本部にて
遠賀亮中 しるす
お墓と家運
松崎整道居士講演
今回。はからずしもご縁が出来まして、かく多数の諸君にお目にかかり、多年私が研究いたしました墓と家運の開係、ならびに墓相に付いて一席お話を申し上げる機会を得ました事を仕合せとぞんじます。
一 墓とは何ぞや
墓の意義
さて墓とは何かと申しますと、これを学間的に説明をいたしますと、日本語のいわゆるハテカまたはハテル、すなわち
およそこの世界において人の造ったもので、最も規模の大にしてかつ荘厳なるものは、何であるかと言えばお墓であります。また最も規模の小にしてかつ簡単なるものは、何であるかと言えばこれもまた、お墓であるのであります。
ためしに今その大なる例二三に付き、本邦建築学の泰斗、伊藤博士の著書中より引用いたしますれば、
世界的の墓地の数々
わが国の仁徳天皇の
さらに小なるものの例を挙げれば、小供が死くなったが棺を買う資力がない、わずかにミカンの空箱を得て来てこれに納めて葬った。この位規模の小さくして簡単なるものはありませぬ。むしろ真にあっ気ないない位であります。
されば世界の建築物中で最小なるものは墓であと同時に、最大なるものもまた墓であります。 一国の内で最とも荘厳なる建築物は、墓であると同時に、最とも簡簡単なるものも、また墓であるのであります。
観じ去り観じ来りますれば、実にしんしんたる興味のつきざるを思うと同時に、また一種の神秘的意義を感ぜざるを得ないのであります。
昭和五年発行 松崎整道居士講演「お墓と家運」 より
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墓相Wiki 最終更新時間:2011年10月07日 16時55分10秒