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一 墓とは何ぞや

 むしあつい夜であった、森江君が来て、『お墓と家運』のゲラ摺を出し、熱心にお墓の講釈をした。僕はよく理屈はわからないが、君の真剣さに感服した。君はこの書に、一言を付せんことを求めた。
 丁度座間に楽翁公の燈前漫筆があったので、それから一二言をぬき出し、ゲラ摺の端にかきつけて渡した。
 人の父母先祖におろそかに疎なるは、みづから木の根をゆるがして倒すに異ならず。その根かれなぱ、数々の枝葉も徒て枯るるは、皆人の知る所なり。然れば、父母先祖にあつくして、子孫の繁栄をいのるぺきことなり。
 子孫たるもの、先祖に厚くば、先祖の神霊悦ばざるべきや。
 我に親しき先祖の霊に見すてられて、家の幸あるべき理なし。
『お墓と家運』の内容は如何であるかと言えば、つまりはこれですと。乃ち懐にして去る。
 昭和五年六月
   鷲尾順敬

はしがき

 吾人が現在の人格において、日夜見聞しつつある世界を 顕界げんかい と称し、その見聞し得ざるも常に霊的威力ありて活動しつつある不可思議の世界を幽界と称す、この 顕幽けんゆう 二界はあたかも昼夜の如く、また表裏の如し、かの表面の活動は裏面の潜勢力により、昼間の動作は夜間の準備に基くと一般にして、終始相互不離の関係にあり、されば、明治大帝は 這般しゃはん の消息を示し給ひて
  眼に見へぬ神の心に通ふこそ
    ひとのこゝろの誠なりけれ
とのたまはせられしなり、上古はこの幽界の威力を恐怖し 畏懼いく [1]して、如在の誠を致せしが、中古仏教の渡来によりていわゆる幽界なるものの真相明瞭となるに及び、いたづらに 畏敬いけい [2]

―するのみならず、進んでこれを慰安し指導せんがため、法味に飢えたる鬼神に対し深遠んる教理を講説して…醍醐の法味に飽かしめ、これによりて各自その威力を倍増して、自在に国家民衆を 擁護ようご せしめ、また一面にはこの意義を上下に説示し勧説して、神祇の崇敬と共に先人の偉功をたたへ、恩徳の広大無辺なるを示して、追加報恩の善行を勧め、いわゆる祖先崇敬、忠孝一途の大義を説き、爾来千三百有余年、朝野一致、大は治国平天下より、小は修身斉家に至るまで、一にこの主旨により、わが日東の先進文明はこれによりて 燦然さんぜん たる光華を宇内に発揮し来りしなり。
 然るに近世物理化学の進歩は、唯物的偏見に陥りて必然の結果社会各層を通じて物質崇拝の悪弊を醸し、ひいて神を畏れず聖人の訓えを用いず、百般の事物、一に功利主義に出発せずんば現代を語るに足らずとなすに至る。ここに於いてか労資の反目は階級的闘争となり、至るところ争議、反抗相次いで起りほとんど底止するところを知らず、日東固有の精神文明は挙げて顧みられざるに至らんとす、 あに 嘆くに昌ゆべけんや。
 頃日友人某来り告げて言う、松崎整道居士なる人あり、神霊幽魂の威力を説き、 顕幽けんゆう 二界の関係を 闡明せんめい すること微を穿ち細を極め、然も一々物的証左を挙示し、聞く者をして所説の的確なるに信服せしめざるなしと、ここに於いて余など同人一日相会して居士を聘して親しくその所説を聴く。
 居士は言う、年来全国的に詳細にして緻密なる調査を遂げしに、その結果の千姿万態なる裏面に因果の理法整然一貫、実に微妙不可思議なるを見、かつ驚きかつ歓び、いよいよ探りていよいよ広く、終に百万基の墓石を調査せりと、講和終りて後、親しく寺の墓前に至り逐一墓を相してその所有者の家運、人事について過去および現在を語るに、墓主および管理人の 知悉ちしつ [3]せる事実と 寸毫すんごう [4]も違ふことなかりき、

嗚呼これ実に幽界の鬼神が語る雄弁なる説明にあらずして何ぞや、いわんや居士はもとより仏教信者なるも、その説くところは経典に基く知識にあらず、ただこれ多年の調査によりて得たる実験談に外ならざるをや、真にこれ 顕幽けんゆう 二界交通の新消息なりと言うを得べく、またもって滔々たる現代物質崇拝者流をして 翻然悔悟ほんぜんかいご せしむる絶好の資料たるにあらずや。
 居士は大震災以来家政を子息に任して顧みず、老体をかりて全力を無縁墓の供養に捧げ、常に言う我が無病健全なるは一にその余徳なりと、しかも居士居常淡々明利を避け、自己の言行の世に知られるを欲せず、従って今回の講和筆記も発表せるをいやがり堅く刊行を拒まれしも、余など同人間に分かつべんぎ上、単に数百部を印刷すとの主旨により、ようやくその快諾を得たるをもってこれが 鉛槧えんざん に付し発行の事をあげて森江書店の主人に 至嘱ししょく すと しか 言う。
 昭和五年六月七日   各宗聯合大井佛教會本部にて
               遠賀亮中 しるす

  • [1]おそれはばかること。
  • [2]崇高なものや偉大な人を、おそれうやまうこと。
  • [3]ある物事について、細かい点まで知りつくすこと。
  • [4]きわめてわずかなこと。ほんの少し。

お墓と家運

        松崎整道居士講演
 今回。はからずしもご縁が出来まして、かく多数の諸君にお目にかかり、多年私が研究いたしました墓と家運の開係、ならびに墓相に付いて一席お話を申し上げる機会を得ました事を仕合せとぞんじます。

 一 墓とは何ぞや


墓の意義

 さて墓とは何かと申しますと、これを学間的に説明をいたしますと、日本語のいわゆるハテカまたはハテル、すなわち 終焉しゅうえん の場所の意でありまして、漢字の墓もまた終焉の土地の意味で、人の屍を処置したところの意味であります。その文字を見ましても墓と言う字は、土の上に人が横たわり、それに日が当たるをもって、これに草を冠らさせてあります。
 およそこの世界において人の造ったもので、最も規模の大にしてかつ荘厳なるものは、何であるかと言えばお墓であります。また最も規模の小にしてかつ簡単なるものは、何であるかと言えばこれもまた、お墓であるのであります。
 ためしに今その大なる例二三に付き、本邦建築学の泰斗、伊藤博士の著書中より引用いたしますれば、

世界的の墓地の数々

 わが国の仁徳天皇の 百舌鳥耳原中陵もずのみみはらのなかのみささぎ は、東西三百間、南北4百間で、総面積は十余万坪に達し、人口の造営物でこれに勝る大規模のものは、世界にないと言う事であります。また印度のアーグラ市にある、タージ・マハールはムガル帝国のシャー・ジャハーン帝の愛妃の墓であるが、その秀麗壮観なる事は有名なもので、その工費が今日の物価をもってすれば少なくとも二億円に達し、これが世界第一高価なる建築物であると言う。またエジプトのビラミッドは、約五千年前にクフ王が築造した墓で、その底面が各七百七十尺、高さが四百八十尺で、これに要した石材は約七千万立方尺で、その重量は十四億貫目で、すなわちこれが世界第一の重量を有する建築物であります。中国北京の北にある明の長陵は永楽帝の墓であるが、その参道の入口なる牌楼から陵まで実に十五支那里と称せられ、その間に大紅門・碑亭・華表・石獣・石人・隆恩門・隆恩殿・明褸などが立ち並んだ有り様は、実に世界第一の大袈裟なる配置であると言う。日本でも徳川家康の墓、すなわち日光東照官の美観は日本第一であるのみならず、今や世界の驚異をもって称せられるのであります。
 さらに小なるものの例を挙げれば、小供が死くなったが棺を買う資力がない、わずかにミカンの空箱を得て来てこれに納めて葬った。この位規模の小さくして簡単なるものはありませぬ。むしろ真にあっ気ないない位であります。
 されば世界の建築物中で最小なるものは墓であと同時に、最大なるものもまた墓であります。 一国の内で最とも荘厳なる建築物は、墓であると同時に、最とも簡簡単なるものも、また墓であるのであります。
 観じ去り観じ来りますれば、実にしんしんたる興味のつきざるを思うと同時に、また一種の神秘的意義を感ぜざるを得ないのであります。


昭和五年発行 松崎整道居士講演「お墓と家運」 より

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 墓相Wiki 最終更新時間:2011年10月07日 16時55分10秒